アインシュタイン博士の格言を否定するつもりはないけど、強い人、賢い人というのは本当に存在するのでしょうか?自分はそれらはどこか理想化されたような気がして、鈍感な人がいるだけのような気がします。強い人、賢い人と呼ばれる人もおそらく全てのことに完璧に対処できるわけではなく、
・自分の感情や行動をより意識的にコントロールできる
・経験から学び、より建設的な対処方法を身につけている
・自分の限界も受け入れられる
というのが本当なのではないでしょうか?つまり、理想としての「完璧な強者・賢者」は存在しないかもしれませんが、人生の経験を通じて精神的な強さや知恵を培っている人はいると考えられます。ただし、それは特別な存在というよりも、人生という学びの過程の中での一つの到達点なのかもしれません。
ほとんどの人は、弱い自分を内包しており、実行に移さない復讐を文章や言語などでしながら、しばらくしたら忘れると言ったことをしているのだと思います。それが最も人間らしくて、理想化された強い人や賢い人は鈍感なだけで「自分は強い」とか「賢い」と思っておらず、弱い自分と絶えず戦っている知恵の結晶が鈍感や悩みが限りなくない状態を作り出しているのだと思います。
アインシュタイン博士の言葉はとても分かりやすいけど、ちょっと理想化されすぎているなと感じます。昔、精神科医に「みんな一緒です」と言われたのが心に残っていて、弱みを抱えながら、経験に学び、対処法が分かったり、問題を回避する術を身につけているのだと思います。
だからあなたも弱さを否定するんじゃなく、それとどう付き合っていくかを考え、弱さをいなすようなことができるようになると博士の言う強い人や賢い人と言った鈍感な人に近づけるのではないでしょうか?
もう一度、博士の言葉に耳を澄ませてみます。
博士はは物理学者でありながら、人間の本質や平和について深い思索を重ねた人物でした。この言葉には、彼の人生経験と洞察が反映されているように思います。
「弱い人は復讐する」という部分は、感情的な反応や衝動的な行動を指していると考えられます。復讐は一時的な感情の満足をもたらすかもしれませんが、それは結局、自分自身を消耗させ、否定的な感情のサイクルを生み出すことになります。
「強い人は許す」というのは、より高次の精神的な強さを示しています。許すという行為には、自分の怒りや憎しみを克服する力が必要です。しかし、これも時として自分を抑圧することになる可能性があります。「賢い人は無視する」という結論部分は特に興味深いです。これは単なる回避や逃避ではなく、むしろ:
・エネルギーを無駄にしない賢明さ
・本質的でないことに時間を費やさない判断力
・より建設的なことに注力する能力
を示唆していると解釈できます。ただし、この言葉は必ずしも全ての状況に当てはまるわけではないでしょう。時には立ち向かう必要がある不正もあり、完全な「無視」が最善とは限りません。
博士は恐らく、人生の限られたエネルギーをどこに向けるべきか、という本質的な問いについて考えを示したのではないでしょうか。復讐に走るのでもなく、無理に許そうとするのでもなく、本当に重要なことに集中するという生き方を示唆したのかもしれません。
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